明治時代中期、英国人青年画家ランダーは、
道さえ通じていない十勝の開拓地で、流暢な英語を話す女性に驚いた。
その人の名は、渡辺(わたなべ)カネ。
横浜のキリスト教系女学校を出て母校の教師をしていた彼女が、
なぜ、開拓者になったのか。
十勝開拓の祖と称される晩成社(ばんせいしゃ)を、後世にどう伝えたのか。
ひたむきに生きた女性の生涯から、十勝が見えてくる。
文:北室かず子/写真:田渕立幸
英国人ランダーの驚き
世界旅行中の英国人青年画家のA.H.サヴェジ・ランダーがオベリベリにやって来たのは、明治23年(1890)のことだった。
「帯広には7軒の家があった。私はそのうちの1軒に入って、すっかり驚いてしまった。目の前にいる老人と美しい婦人(鈴木親長と渡辺カネのこと)は、その容貌といい立ち振舞いといい、日本内地の上流階級とまったく同じように、洗練されていたからであった。(中略)住居の外観こそみすぼらしいものであったが、その内部はまことに清潔で、私にはまるで天国にたどり着いた思いだった」。(『エゾ地一周ひとり旅』、戸田祐子訳より)
渡辺家に3日間滞在したランダーは、カネと勝が英語で会話していることにも驚嘆した。ランダーとはジョークを交えて盛り上がったという。感動したランダーは、後日、渡辺家を描いた油絵を贈った。この絵は帯広市の文化財となっている。

さて、晩成社は豆、小麦、ビート、トウモロコシ、馬鈴薯などの栽培、牛肉、乳製品、ハムの製造、木材工場の稼動など、さまざまな事業に着手した。現在の十勝は畑作地帯だが、水田を開くことにも成功した。帯広百年記念館 学芸員の大和田努(おおわだ つとむ)さんは、晩成社の意義をこう話す。「十勝内陸部に初めて集団移住を果たしたのが晩成社です。農業が本格化していない広い場所に、民間の団体として一番乗りをして挑戦したかったという狙いはありそうです。農畜産物を作って加工して販売するというビジネスを想定していたのも、早い方だと思います」。

しかしこうした先進的な事業で、会社の赤字は膨らむばかり。虫害、干ばつ、冷害など自然の脅威も大きかったが、作物や製品がせっかくできても消費地が遠く、交通網が未発達なことが致命的だった。
さらに銃太郎、勝は、小作人に高い地代を科す晩成社の社則への反感もあり、三幹部の亀裂が深まった。
明治19年(1886)、勉三は単独で現・大樹町(たいきちょう)晩成において牧畜事業に着手した。
明治26年(1893)に晩成社を離れた勝とカネが新天地としたのが、現在の音更町(おとふけちょう)然別(しかりべつ)だ。
帯広市から十勝川を渡って、晩夏の現地を訪ねると、広々とした畑は、豊かな実りの季節を迎えつつあった。その中心に、渡辺勝・カネ夫妻の功績を称える碑がある。


「豚と一つ鍋」 語り継いだ意義
帯広百年記念館には、カネ宛ての手紙や日記が保存されている。そこからわかるのはどんなことだろう。
「昭和初期になると晩成社の関係者がほとんど亡くなっていくなか、カネは86歳まで長生きしました。手紙や日記からわかるのは、カネに対して聴き取り調査や講演の依頼が頻繁にあったことです。それに対してカネは精力的に応じています。意識して昔のことを語り継ごうとする姿勢を持っていたと思います」と、大和田さん。依頼してきたのは歴史学者の高倉新一郎(たかくら しんいちろう)をはじめ、作家、郷土史研究家などだった。


今に伝わる晩成社のエピソードには、カネの証言がもとになっているものがある。その代表が「開墾のはじめは豚と一つ鍋」のいわれだ。この句から名づけられた有名なお菓子もあるので、ご存じの方も多いだろう。カネが74歳の時、郷土史研究家に語った内容はこうだ。
冬場、豚の餌として、くず馬鈴薯やくず豆を煮こんで、それに鮭を入れて作っていた。この鮭は、産卵を終えて力尽きた鮭(ホッチャレ)を川岸で拾ってくるのだ。一度に持ち帰れないほどのホッチャレが上がっており、凍らせて保存していたという。
明治18年(1885)4月、渡辺家でいつものように豚の餌を煮ていると、勝と鈴木銃太郎と依田勉三の三幹部が揃った。そこに札幌県の役人、内田瀞(うちだ きよし)も加わったとカネは話している。早速、酒を飲みだしたが肴がない。そこで鍋の中で煮えたホッチャレをつまむ。勝が「豚のエサで酒を飲むのも粋人だ」と笑いながら、一句、書いて差し出した。
「落ちぶれた極度か豚と一つ鍋」
それはひどすぎると、内田と銃太郎が言い、推敲を重ね、
「開墾のはじめは豚と一つ鍋」
となった。依田は「よく実感が出ている」と言って、声高らかに朗詠した。
このようにカネは「一つ鍋」の句にまつわるエピソードを披露した。依田家で作られたと伝えられているが、渡辺家だったと断言している。そして「依田宅だったかどうかはさておき、依田が作ったとされるのはあまり感服はいたしません」と述べている。勝が作ったのに依田の作とされることだけは、看過できないと、やんわり、しかし毅然と述べている。
カネの話に登場する内田は、札幌農学校の一期生だ。同校は、北海道開拓のリーダーを育成するために開拓使によって設けられた。この札幌農学校を前身とする北海道大学は、今年、開学150年を迎える。開拓者の小屋で酒を酌み交わす内田の姿に、札幌農学校の実学の精神が見えてくる。ただし、内田が初めて晩成社の開拓者たちと交流したのは明治21年(1888)という記録があり、「一つ鍋」の句が誕生した時に内田は同席していなかったのか、あるいは「一つ鍋」の句は明治21年以後に生まれたのか、定かではない。
【後編】では、豊頃町(とよころちょう)大津(おおつ)を訪ねる。冬になれば「ジュエリーアイス」を見に多くの人々が訪れる大津海岸。その波打ち際で、カネたち移住者の新しい人生が始まったのだ。
Information
帯広百年記念館
| 住所 | 帯広市緑ヶ丘2 Google Map |
|---|---|
| 電話番号 | 0155-24-5352 |
| 開館時間 | 9:00~17:00(入場は16:30まで) |
| 休館日 | 月曜(祝日の場合は開館)、祝日の翌日(土曜日曜は開館)、年末年始(12月29日~1月3日) |
| 入館料 | 一般380円、高校生・65歳以上190円 |
| アクセス | 帯広駅より約2㎞、拓殖バス「緑ヶ丘6丁目美術館入口」下車・徒歩約7分、十勝バス「春駒通12条」下車・徒歩約8分 |
| 関連リンク | https://museum-obihiro.jp/occm/ |
※情報は取材時のものです。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。


