津軽海峡で隔てられているにもかかわらず、
函館と青森の間は、太古から人の行き来が途絶えたことはなかった。
縄文土器、日本最大の埋蔵銭、物流革命、世界最長の海底トンネル…、
そして北海道新幹線の開業によって新幹線が津軽海峡をつなぎ、今春で10年。
海峡が秘める変革の記憶をたどった。
文:北室かず子/写真:田渕立幸
クロフォードの遺産
青函連絡船の貨車航送に先だって、もう一つの変革も行われた。それは、車両どうしをつなぐ連結器の全国統一だ。
当時、本州以南はイギリス式の螺旋(らせん)連結器で、連結器の鎖をねじってつなぐ方式。一方、北海道はアメリカ式の自動連結器で、げんこつ形をした器械ががっしりと組み合う方式。アメリカ式は頑丈で操作しやすく、長い列車編成も組みやすい利点があった。北海道の鉄道がアメリカ人技師、ジョセフ・U・クロフォードの指導で敷設された遺産ともいえる。連結器が全国で統一されれば、貨車を直通運用できる。それには北海道方式が適していることは明らかだった。
しかし問題は、全国を走る膨大な数の機関車、貨車の連結器を短期間で取り替えなければならないこと。そんなことが可能なのだろうか。
そこで考え出されたのが、全車両の前後に自動連結器を取り付ける空間をあらかじめ作り、自動連結器を積んでおくことであった。満を持して大正14年(1925)7月、本州以南の全車両の連結器がアメリカ式に交換された。
同年8月1日、貨車航送が始まり、輸送力は飛躍的に増大した。積み替え時間が短縮した分、遠くへ運べるようになり、たとえば北海道の鮮魚も大消費地の関東まで届いた。販路が広がると生産活動も活発になる。貨車航送は、北海道のみならず日本全国の産業の発展に大きな効果を生んだのだった。


そして昭和63年(1988)3月13日、青函連絡船の終航の日がやってきた。最後の貨車航送は、函館発2時40分、青森着6時35分の八甲田丸170便であった。
北海道産業考古学会会長で北海道遺産協議会監事でもある元酪農学園大学教授の山田大隆(やまだ ひろたか)さんは、こう語る。「地下資源、農産品、漁業品が豊富な北海道は、明治政府の開発重点地で、輸送力整備は特に重要でした。貨車航送の開始で輸送力が急増し、流通革命が生起しました。これは、技術革命が経済革命をもたらした、歴史上、稀有な事例で、北海道開発史上にとどまらない世界的な成果です。青函連絡船史は、縄文時代からの青函文化圏を技術から支えた歴史的意義があります。貴重な技術文化遺産として、これからも継承していってほしいと思います」。
世界最長の海底トンネル
貨車を収めた連絡船が、日本の物流の大動脈として津軽海峡を渡っていた時、その海底では、青函トンネルの工事が進んでいた。
幾多の苦難に向き合いながら、工事に携わる人々の胸に灯っていたのは、「いつかここを新幹線が走るのだ」という熱い思いだ。難工事は24年間に及んだ。
新幹線は在来線とはレール幅が異なる。そのため、青函トンネルでは新幹線に対応できるよう、当初から3本のレールが敷設可能な三線式スラブ軌道が採用された。また、新幹線の高速運転が可能なよう、緩やかな傾斜の12/1000でつくられた。そのため、青函トンネルには水平なところがない。
津軽海峡を海底トンネルで結ぶ構想は、遠く大正時代にさかのぼる。終戦直後の昭和21年(1946)にはトンネル工事を見据えた地質調査が始まっている。そして昭和29年(1954)の台風による洞爺丸事故の悲劇から、天候に左右されず海峡を安全に行き来できる海底トンネルへの期待が高まった。
しかし長大な海底トンネルは、難題だらけ。陸上のトンネル工事ならば地表面から地下の岩石をボーリングで採取し、地質に合った工事方法を検討することもできる。そして水が噴き出さないよう、水脈を断ってから掘削が行える。しかし、青函トンネルの上は潮流の激しい津軽海峡で、海底の地下深くの地質を把握するのは困難である。水脈を断つことももちろん不可能だ。
これを克服するために開発されたのが、先進ボーリング、地盤注入、吹付コンクリートの技術であった。
先進ボーリングとは、前方の地質や湧水の状況を探るものだ。ボーリング調査はふつうは鉛直方向だ。しかし海上から海底の状態を調べるのは難しいので、青函トンネルではトンネル内部から水平方向にボーリングが行われた。
水平を維持することは難しく、かつ、ボーリングで開けた孔の内部の圧力を保ち続けなければ孔壁が崩れてしまう。1カ月に100mも進まない苦悶の中で確立されたのが、リバース工法だった。通常はロッド管内から水を送って先端で管外に出すのだが、リバース工法は管と孔壁の間から水を送り、泥を水とともに管内に回収するものだ。これにより昭和56年(1981)には、水平ボーリング掘進の世界最長記録2,150mを達成した。
地盤注入とは、岩盤に水ガラスとセメントの混合物を注入して、水みちを塞ぐことだ。難しいのは流動性と強度のバランスである。青函トンネル工事では、最適な水ガラスの種類や配合物が解明された。また、地質に合わせて注入範囲を導き出す基準が確立され、注入用ポンプも開発された。
吹付コンクリートは、掘削直後に岩盤に吹き付けて緩みや崩落を防ぐものだ。ヨーロッパで開発されたものだがトラブルも多かったため、模擬トンネルを掘って技術を磨き上げた。急結剤の改良や耐圧ホース、吹付用自動アームなどを新たに開発している。
しかしこうした技術を駆使しても、幾度も異常出水に苦しめられた。本坑を巨大なため池にしてしのいだこともある。さらには北海道側のF10断層に行く手を阻まれもした。
自然の脅威にさらされ続けた難工事は、殉職者の尊い志に支えられている。青函トンネル工事で開発された技術は、英仏間のドーバー海峡トンネルにも生かされた。
昭和63年(1988)3月13日、青函トンネルが開通した。総延長53.85㎞は、海底トンネルの全長として世界最長である。貨車航送よりさらに速く、大量に、安全に、青函トンネルは北海道の産物を本州以南へ運んでいる。
福島町にある青函トンネル記念館では、工事で実際に使われた重機や、工事記録、技術情報などが展示されている。映像でも工事の様子を見ることができ、海峡をつないだ先人たちの奮闘に胸が熱くなる。



そして平成28年(2016)3月26日、北海道新幹線 新青森―新函館北斗間が開業した。新幹線が津軽海峡を渡った。青函は、ついに新幹線で結ばれたのである。
今年はそれから10年。連綿と続いてきた青函の交流に、新たな歴史が重なっていく。
Information
青函トンネル記念館
| 住所 | 福島町字三岳32-2 Google Map |
|---|---|
| 電話番号 | 0139・47・3020 |
| 開館時間 | 9:00~17:00 |
| 休館日 | 12月1日~3月16日 |
| 入館料 | 一般500円、小中高校生300円 |
| アクセス | 木古内駅前から函館バス松前行き「青函トンネル記念館前」(所要約50分)で下車 |
| 関連リンク | https://be-happy-fukushima.com/attractions/seikan-tunnel-kinenkan/ |
※情報は取材時のものです。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。