かつて、天下の台所・大阪の人々は、主に日本海航路で北海道と大阪を結ぶ
商船や船乗りたちを「北前」と呼んだ。
北海の荒波を越えてきた船は、ひときわ雄々しく見えたに違いない。
大きな富をもたらした北前船の交易。
北海道からの荷の多くを占めたのは、畑作の肥料となる鰊粕(にしんかす)だった。
北前船の富を生んだ利尻島を訪ねると、想像を超えるレガシーに出合えた。
文:北室かず子/写真:田渕立幸
袋澗ってなに?
札幌発の特急「宗谷」は、地球の緯度にして2度分を北上し稚内に至る。遠大な旅の最後、晴れていれば車窓の日本海に利尻島が浮かび上がる。これ以上に完璧なランドマークがあろうか。いにしえの船乗りたちも、利尻山を目印に荒海を進んだことだろう。
稚内からフェリーに乗り換え、利尻島の鴛泊(おしどまり)港に上陸。北緯45度10分に位置する島の爽快な空気を胸いっぱいに吸い込む。ペシ岬の向こう側に、石積みの堤に守られた船だまりがあった。「泉(いずみ)の袋澗(ふくろま)」だ。透き通った水底で利尻昆布が揺れている。潮の香りが濃い。振り返ると、利尻山が神々しい姿でそびえ立っている。

袋澗とは、鰊漁の盛んだった時代、建網(たてあみ)にかかった鰊を一時的に保管する目的で造られたもの。利尻町立博物館 元学芸員の西谷榮治(にしや えいじ)さんはこう語る。「鰊の漁期は春で、島は北東の強風が吹いて非常に海が荒れます。そこで、網にかかった鰊をまずは袋澗に入れることで、穏やかな袋澗の中で安全な陸揚げ作業ができるのです。袋澗は鰊漁そのものを支える知恵なんですよ」。

こうした漁業の遺産は、平成30年(2018)、「利尻島の漁業遺産群と生活文化」として北海道遺産に認定された。この後、島を巡りながら、筆者は今も残る袋澗のバリエーションに仰天することになる。
1航海1億の富
まずは島のレンタカーで利尻島郷土資料館へ。資料館は大正時代に旧鬼脇(おにわき)村役場として建てられた洋館だ。

館内で真っ先に目に飛び込んできたのは、鰊漁の船が港を埋め尽くす写真だ。利尻富士町教育委員会次長で学芸員の山谷文人(やまや ふみと)さんいわく「周囲約60㎞の利尻島に、およそ300もの鰊漁場がありました。袋澗(もしくは澗)も、30~35カ所もあったんです」。すさまじい数である。



水揚げされた鰊の大半は鰊粕に加工された。鰊粕とは、鰊を煮て搾り、発酵・乾燥させたものである。江戸時代、西日本で盛んになった綿花や菜種、藍の栽培には多くの肥料が必要で、農民は効力の高い鰊粕を喉から手が出るほど欲した。それを運んだのが北前船だった。

北前船とは、江戸時代中期から明治30年代まで、大阪と北海道を主に日本海廻りで往来した商船の総称である。物流が未発達だった当時、船主は地域による価格差に着目して、ある港で商品を買い入れ、別の港に運んで販売する買積(かいづみ)経営を行うことが多かった。難破などの損害は被るが、うまくいけば儲けは大きく、1航海で現代の貨幣価値にして1億円以上の利益が出たとされる。

「道北の北前船の航跡については、まだあまりスポットライトが当たっていません。しかし島内に北前船ゆかりのものはたくさんあります。安全航海を願って神社に奉納された船絵馬(ふなえま)、本州の寄港地から持ち込まれた酢徳利(すどっくり)や漆器、陶磁器などを館内でご覧いただけます。神社の灯篭(とうろう)や狛犬(こまいぬ)も北前船でもたらされました。一方、利尻島からは鰊粕をはじめ昆布、中国への輸出品になる干した海鼠(なまこ)や鮑(あわび)が積み出されました」。
【中編】では、島を巡って知られざるレガシーを訪ねよう。
Information
利尻島郷土資料館
| 住所 | 利尻富士町鬼脇字鬼脇257 Google Map |
|---|---|
| 電話番号 | 0163-83-1620 |
| 開館時間 | 5月1日~10月31日の9:00~17:00(最終入館 16:30) |
| 休館日 | 11月1日~4月30日、5・6・9・10月の火曜日(祝日の場合は翌日休)、祝日の翌日 ※7・8月は無休 |
| 入館料 | 一般300円、中学生・身障者100円、小学生50円 |
| アクセス | 宗谷バス「鬼脇」停留所下車、徒歩約3分 |
| 関連リンク | https://hokkaido-digital-museum.jp/facility/rishiri-historical-museum/ https://www.rishiri-plus.jp/shima-place/kyoudo-siryoukan/ |
※情報は取材時のものです。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。


