波打つ丘、作物の種類によって色分けされたパッチワークのような畑…。
美しい田園風景から想像するのは難しいが、
上富良野(かみふらの)町と美瑛(びえい)町は、
100年前に起きた十勝岳(とかちだけ)噴火による泥流(でいりゅう)の被災地である。
苦難を乗り越えて復興した地に、ラベンダーが咲き、「白金(しろがね)青い池」が輝く。
悠久の歴史の中で絡み合う火山と人の物語をたどってみよう。
文:北室かず子/写真:田渕立幸
消えた大カルデラ
「波打つ丘の地形を生んだのは大昔の大噴火です」――。十勝岳ジオパーク推進協議会事務局長の長野克哉(ながの かつや)さんの言葉の謎を探るべく、十勝岳ジオパークの拠点施設「丘のまち郷土学館『美宙(みそら)』」を訪ねた。

解説してくれたのは、同推進協議会事務局次長で上富良野町ジオパーク推進室長の中村有吾(なかむら ゆうご)さんだ。「丘の地形を生んだ大噴火は約280万年前、約200万年前、約120万年前の少なくとも3回ありました。その火砕流が堆積し、雨風による浸食を受けた結果、波打つような丘の地形が生まれたのです。この大噴火で『十勝カルデラ』ができたと考えられています。でも今、そんなカルデラ地形はどこにも見当たりませんよね。十勝岳、美瑛岳、富良野岳などの新しい火山の噴火によって埋められて消えたのです」。

大噴火の火砕流は、町の景観にも生きている。美瑛駅や道の駅びえい「丘のくら」の建材として利用されている美瑛軟石だ。「美瑛軟石は、十勝カルデラから噴出した火砕流堆積物が固まってできた岩石(溶結凝灰岩)です」と、中村さん。北国の空に映えるすがすがしい白さの美瑛軟石は、太古の大噴火でこの地にもたらされたのだ。


「丘のまち郷土学館『美宙』」の外壁・内壁も美瑛軟石だ。十勝岳ジオパーク専門員の富島千晴(とみじま ちはる)さんが指さした先が、キラキラしている。「きらめいてるでしょう。美瑛軟石には石英が入っているんですよ」。白い地肌にクリスタルを散りばめたようだ。
酸性土を変えた悠久の時
それにしても丘の土台が火砕流の堆積物ならば、硫黄を含む酸性の土ではないのだろうか。「その通りです。作物にとってどうなのか、私も疑問に思っていろいろ調べてみました。その結果、噴火が 200万年も昔なので長い年月の間に酸性が弱まって、ちょうど良い環境に変化していることがわかったんです。また、火砕流にはさまざまな大きさの火山灰や礫(れき)が入っているため、水はけのバランスも良いようです」と、富島さんが答えてくれた。それは悠久の時間からの贈り物と言えるかもしれない。

ビールの原料であるホップも、丘の地形と冷涼な気候を好んだ。サッポロビールの前身・大日本麦酒(だいにっぽんビール)(株)が道内各地で試験栽培した結果、上富良野村がホップの生育に最適だったのだ。泥流被害の翌年、泥流を免れたところに苗が植えられた。同社の用地取得を仲介したのは、復興に尽力した上富良野村の吉田貞次郎村長だった。

富良野といえばラベンダーだが、その始まりは昭和23年(1948年)、上富良野町で曽田(そだ)香料(株)が栽培を始めた。ラベンダーも水はけの良さを好んだ。美瑛・富良野エリアでは、地形や地質の特性を見極めて農業が展開されている。

十勝岳ジオパーク推進協議会事務局次長で学芸員の荒明慎久(あらあけ のりひさ)さんは、ある有名人の足跡も教えてくれた。それは江戸時代に蝦夷地を踏査した松浦武四郎(まつうら たけしろう)だ。「現在の新栄(しんえい)の丘のあたりから十勝岳連峰をスケッチしていました。それまで知られていなかった十勝岳連峰の姿を克明に描いているんですよ」。季節は早春。雪に覆われた荘厳な山々に、武四郎の胸は躍ったに違いない。


【後編】では、美瑛町の市街地から十勝岳に向かって進んでみよう。
Information
丘のまち郷土学館「美宙」
| 住所 | 美瑛町栄町4丁目1-1 Google Map |
|---|---|
| 電話番号 | 0166-74-6116 |
| 開館時間 | 10:00~18:00 (天文台は10:30から。入館は17:30まで) |
| 休館日 | 火曜(祝日の場合はその翌平日)、年末年始(12月31日~1月5日)、その他休館する日が月に1日あります。 |
| 入館料 | 無料(天文台は町外の高校生以上200円) |
| アクセス | 美瑛駅から徒歩約6分 |
| 関連リンク | https://www.town.biei.hokkaido.jp/culture/misora/ |
※情報は取材時のものです。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。


