奈良・東大寺の大仏が開眼した頃、北海道のオホーツク海沿岸では、
謎に満ちたオホーツク文化が花開いていた。
オホーツク文化を担ったオホーツク人は、海の狩猟民だ。
大陸からサハリンを経て北海道に来たとされ、その道すじは流氷の南下と重なる。
オホーツク人が残した造形は、シンプルにして本質をつかんでおり、
動物像からは狩猟民ならではの鋭い観察眼もうかがえる。
生命感あふれる造形を訪ねて、網走、斜里を旅した。
文:北室かず子/写真:田渕立幸
ゴジラ岩に対抗して
【前編】で、チャシコツ岬上(みさきうえ)遺跡の地形がユニークであるとご紹介したが、この写真をご覧いただければ一目瞭然。亀にそっくりなのである。調査を行う斜里町立知床博物館の学芸員、勝田一気(かつた かずき)さんはこう語る。「昔から地元では亀岩(かめいわ)と呼ばれてきました。ウトロにゴジラ岩というゴジラに似た岩があるので、いっそガメラ岩にしようかという意見もあったらしいです」。


チャシコツ岬上遺跡は、今から約1,200年前のオホーツク人の集落跡である。オホーツク人は海の狩猟民。モヨロ貝塚がそうであるように、海岸近くに生活の基盤を築いた。チャシコツ岬上遺跡も海の間近にあるのだが、標高50m以上の崖の上だ。水や食料の調達も困難であろう場所に、31軒もの竪穴住居跡が密集していた。それはなぜなのか。
勝田さんいわく「ここなら眺望が効くので異なる集団の船の往来もすぐわかりますし、食料源である海獣の動きも観察しやすかったでしょう。異集団と距離を保ちつつ、海で生活していくために、チャシコツ岬はうってつけの立地だったのです」。





最新技術でオホーツク土器を調べると、陸の哺乳類ではない、アザラシやクジラなどの海の哺乳類の脂が検出されるという。つまり海の哺乳類を土器で煮炊きして食べていたということだ。勝田さんは「動物がいなかったら生きていけないわけですから、彼らが残した造形には、それらを大切に思う気持ち、自然への敬意が込められている気がします。小さな道具などに入れられた彫刻からも、手先が器用で豊かな表現力を持っていることを感じます」と言う。

旅するコイン
チャシコツ岬上遺跡では、遠い本州とのつながりもうかがえる。奈良時代に平城京(奈良県)で発行された貨幣、神功開寳(じんぐうかいほう)が出土しているのだ。「当時、北海道は貨幣経済ではないので通貨として伝わったのではないです。非常にすり減っていたことから、お守りとして大切に磨かれて磨耗したのではないかという見解もあります」と、勝田さんは語る。

海獣を狩って糧としていたオホーツク人に貨幣は不要だし、律令国家の権威も遠い一地方のものでしかなかっただろう。ならば、神功開寳は今でいうキラキラのチャームだったのでは、などと想像すると楽しい。
斜里町立知床博物館では、神功開寳にこんなキャッチフレーズを付けている。「旅するコイン」。オホーツク人がすり減るほどに夢中で磨いて愛でたかもしれないキラキラは、斜里町立知床博物館の展示室にひっそりとたたずんでいる。旅の記憶を胸に抱きながら。


ロシア極東から北海道へ。壮大な移動をしてきたオホーツク人。その背後にはさまざまな文化の影響、交流が見てとれる。【後編】では、こうした世界の北方民族の文化に触れられる、とっておきの場所へご案内しよう。
Information
斜里町立知床博物館
| 住所 | 斜里町本町49-2 Google Map |
|---|---|
| 電話番号 | 0152-23-1256 |
| 開館時間 | 9:00~17:00 |
| 休館日 | 4月~10月は月曜休館(祝日の場合は翌火曜休館)、11月~3月は月曜・祝日休館(月曜が祝日の場合は休館 翌火曜も休館)、年末年始 |
| 入館料 | 一般300円、斜里町民と小中学生無料 |
| アクセス | 知床斜里駅より徒歩約20分、巡回バス「しゃりぐる」で約6分、または約27~28分(1日3便) |
| 関連リンク | https://shiretoko-museum.jpn.org/ |
※情報は取材時のものです。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。